2009年4月13日月曜日

メロと主題

先日から書いていたスコアを書き上げ、Logicで打ち込み終えました。
打ち込みが故、音楽としての呼吸や流れを細部までコントロール出来ないのが
もどかしいですが、デモテープとしては満足の行く出来になったと思っています。

さて、ここ最近映画音楽を聴きまくっているのですが、ちょっとした事に気付いたんです。
それは「主旋律」の扱いが国内と国外の音楽において、明確な違いがあるような
気がする、ということ。
どちらも「メロディ」という言葉で共通はしていると思うのだけど、海外だと旋律が「主題」となって、
様々なバリエーションを持ち、声部や曲のバリエーションとして継承されていきます。
文字通り、その作品の「テーマ」となる旋律という扱いですね。
しかしながら国内に目を向けると、「メロ」という、国内の音楽にのみ通用するであろう、
独特なモノになる場合が多い気がします。

この「メロ」という旋律は、「主題」としての顔よりも、
「キャラクター」としての顔を強調する事に趣きが置かれている気がするなぁ、というお話。
言葉で説明するのが難しいけれど、歌メロに近い、個性の強い旋律とでも言うのかな。
勿論作曲家たる者、良い旋律を書く事は当然だけど、例えば映画やドラマで流れる
劇伴では、半数以上はここで言う「メロ」って必要ない気がするんだよなぁ。
以前の仕事で提出した曲、全てに「メロが云々」と言われた事があって、
化け物に追われるシーンでメロって必要かー??とか思ったのですね。
メロ、というより旋律がイメージされているモノと違うんだろうな、と解釈して、
別のフレーズを考えて提示したらOKが出たので、多分そういうことなんだろうと。

部屋に入ったら不気味な感じがする、とか、神秘的な場所を連想させる、とか、
何かに追われる、といった場面に音楽を付ける場合、個人的に音楽に台詞(メロ)は
不要と思っています。場合にもよるけど。
悲しいとか、愛おしいとか、幸せだとか、内面から来る感情的な描写に対しては、
メロ的なアプローチは有効だと思いますけど。

というか、国民性なんでしょうね。こういったキャラクター付けって感性は。
漫画やアニメ、ドラマやゲームといった仕事で携わるコンテンツを見渡してみても、
やたら登場人物に関する説明描写が多い気がする。
この人の性格はこうで、敵は誰で、武器はこれで、必殺技はこれですよ、みたいな。
アメリカの作品って前置きはあるとしても、劇中での説明って殆どない気がする。
全部細部まで作りこんで、それを見せたり効果的に使う事で間接的に説明しているんだね。
間違ってもライトセーバー振り回しながら「なんちゃらウェーブ!」だとか、
コウモリの形した車に乗り込んだ時に「GO!バットモービル!」だとか、
蜘蛛男が手から網を出しても「この網は重さ5tにも耐える強度だ!」だとかは言わない。
このへん、見せ方や世界観の創り方がうまいなぁ。
だからこそ、緊張感や緊迫感のある感じの音を充てるだけで効果が出るんだろうけど。

こうして考えるとオーケストレーションの考えも変わってきた気がします。
まだまだ主題や主旋律に対しての解釈が甘いし、無駄にフレーズや楽器を重ね過ぎている。
足し算で音楽を作るのは(料理や建築、デザイン全般もそうですね)簡単だけど、
引き算でアレンジをしていくのは非常に難しい。
加えて旋律の前後に関連性があり、且つ音楽的な繋がりを持たせようとすると、
途端に高度なパズルになってきます。
しかも答え(?)が無限にあるものだから、悩む訳でして。
楽しいんだけどさ、それ以上に。

昨年から一緒にお仕事させて頂いているディレクターさんは、
この辺りの意見交換が行えるのでとても満足いく仕上がりの作品が多い気がします。
だからこそ、曲書き、研究、勉強を積み重ねて次のステップに進まなくてはいけません。

などと真面目な考察を書いていた時間に、そのディレクターさんはバーベキュー大会だったとか。
くそう!青空の下でお肉食べたいなぁ。。。
でも、お陰様で良い曲に仕上がりましたよ、と言葉を濁しつつ、いつもご馳走になってばかりで
済みません、というお礼(お詫び?)。
次回開催時は是非ともお誘い下さい。
青空の下で譜面に鉛筆を走らせつつ、お肉とビール。
ここで名曲が生まれようものなら、今迄の積み重ねてきたモノが根幹から揺らぎそうで怖い・笑。
結局お酒パワー?みたいな。あ、因みに下戸です。

さて、注文していたとある映画のスコアが入荷したらしいので、取りに行ってきます。
気になっていた曲がどうなっているのか。
耳である程度は追えるけど、スコアからしか追えない情報もあるのです。
文字通り、宝の山なのでとっても楽しみ。


晩御飯はお肉にしよう:)
それではまた。



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