2009年5月20日水曜日

パクリの技法

打ち合わせに行くと「○○っぽい感じで」ってオーダー頂く事があります。
大抵は、楽器の編成だったり、楽曲の年代や構成を指す事が多いのですが、
稀に「スターウォーズっぽいやつよろしく」とか言われて困る訳です。

「○○っぽい」という曖昧なオーダーから、真剣に分析を始める事が
仕事としての第一歩だったりするのですが、これが難しい。
さぁ皆さん、バレないように上手にパクりましょう!という話ではなくて、
何をもって、○○っぽいのか。あれこれ考えるのですが、
世の中には、このオーダーまんま曲を書き上げる人がいるから困るのです。

転調すればいい、最初のリズムだけちょっと変えよう、とか、
安易な取り掛かりで書き始めると、自分の首がきつく絞まります。
というか、法的にアウト。
ただ、法律的に回避しつつ似た楽曲が書ければOKなのか?というと
それも間違っている気がしてならない。

そもそも「○○っぽい」という対象になるものって、どんな分野でも
その道のある種スタンダード且つメジャーなものが殆どじゃありませんか?
完成されたものに対して、小手先の小細工で加工を施すと、
オリジナルを超える作品にはなりません。絶対に。

音楽って感動出来る箇所が沢山ある。
数ある芸術の中でも直接心に触れてくるものだから、
映画で涙している場合、音楽に涙を流されている事が多いと感じる。
音楽だけ消して観ていたら恐ろしく感動の振れ幅が狭くなるのが
解るはず。
心と感情が強く動いたと感じたのなら、何故そう感じたかを
自分で分析して、何よりも感動を蓄積する事。
譜面ヅラだけ頭にメモしてそれを後で書き起こしても、人は感動しない。
間違いなく、自分も感動しない。

そもそも同じ楽曲を複数人の人が演奏すると、全部違って聴こえるハズ。
○○っぽい楽曲を書くのが仕事ではなくて、その楽曲から感じる印象や
感動するポイントを再現して、新たなリスナーを感動させたい、って
クライアントの意図を読み取らなくては、曲を書く目的が違ってしまう。

そう考えると、映画を観たり本を読んだり、勿論音楽を沢山聴く事も
そうだけど、家族や友人、恋人との会話で心が動かされる事は沢山ある。
とても音楽の表現方法に直結する事が身の回りにあるんだな、と感じる。
そこをパクればいいんだな、と最近気付いた。


感動する事だけではなくて、季節を感じたり空を飛んでいる感じがしたり、
恐怖や孤独を感じたり。
作曲家は全て音楽でそれを演出しないといけない。
自分が体感したり、感傷的になる事で始めて知る心の動きがそこにはある。


つまりはそうゆーことだよ。


昨日朝5時、妹に娘が産まれました。
始めて家族が増える実感を味わった訳だけど、
子供が出来る喜びを知ったのも始めてです。

世の中の女性が出産後に感じる喜びは、僕の感じた喜びの比では無いだろうけど、
少しだけ味わう事が出来ました。
母が子を想う曲が書けるようになるのかもしれない。
同時に「叔父さん」となった、何とも不思議な説明出来ない気持ちも
体感出来た訳で。


つまりはそうゆーことだよ。

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